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暮らすように
LONG STAY
旅先でもいつもの暮らしを
大切にしたい方へ。
VACATION HOUSE 朔は、
数日間の旅行はもちろん、
長期滞在にも心地よく
お過ごしいただける
一棟貸しの宿です。
キッチンで食事を作ったり、
リビングや縁側でくつろいだり、
それぞれの暮らし時間も
大切にできます。
ホテルとは少し違う、
「暮らすように泊まる」を
ご提案します。
長く滞在するからこそ
自分らしく、心地よく。
旅の拠点としても、
もう一つの暮らしの場所としても。
私の暮らしを纏う時間。

ゆとりあ る一棟
ホテルに泊まるというよりも、一棟貸しならではの空間で旅先でも自分らしい暮らしを続けられる場所。長く滞在するからこそ、いつもの生活リズムを大切にしながら、ゆったりと自分らしい時間をお過ごしいただけます。

豊かに料理を嗜む
充実したキッチンを自由に使えるため、外食だけに頼らず、その日の気分や体調に合わせてお好きな食事を楽しめます。地場産の食材を使ってお料理もお勧めです。旅先でも、普段のように自分で食事を整えられることは、長期滞在ならではの心地よさです。

心ほどける私時間
それぞれのお部屋が仕切りで独立空間としてご使用いただけます。ご家族やご友人とみんなで楽しい時間を過ごしながらも、それぞれのプライベートな時間も大切にできるゆとりある空間をご用意しています。

日常と繋がる安心感
滞在中も快適にインターネットをご使用いただけるように、Wi-Fi環境を整えています。
旅の情報を調べたり、動画を楽しんだり、またワーケーションなどにもご利用いただけます。

清潔に整う旅時間
洗濯機・乾燥機を無料でご利用いただけるため、長期滞在中も衣類をいつでも清潔に保てます。
荷物を必要以上に増やすことなく、身軽に旅を楽しめるのも、一棟貸しならではの魅力です。

自然体で過ごす町
昔から外国や日本中から多くの人が旅する海街の奈半利の人々は親しみやすく、近隣のスーパーの買出しや喫茶店や様々な施設に赴いたときでも住んでいるような感覚で過ごしていただけます。
(*奈半利のナック文化のルーツについて後述)

奈半利町のスナック文化

かつて遠洋漁業や林業で
栄えた奈半利には
全国各地、海外からも
多くの人が訪れていました。
漁師や林業関係者、旅人など
さまざまな人が行き交う港町。
夜になるとスナックには
地元の人と外から来た人が集まり
飲んで、歌って、語り合う。
そんな時間が
この町には長く続いてきました。
人と人との距離が近く
初めて訪れた人でも
自然と会話が生まれる。
奈半利の人の親しみやすさや
よそから来た人を気取らず
受け入れるあたたかさは
こうしたスナック文化とともに
育まれてきたのかもしれません。

旅で訪れた人も少し滞在すれば
いつの間にかこの町の
空気に馴染んでいる。
そんな人との距離の近さも
奈半利の魅力のひとつです。
奈半利はただ訪れるだけの
町ではないのかもしれません。
地元の人と触れ合い
この町の暮らしに
少しずつ馴染んでいく。
そんな時間もまた
旅の大切な思い出になります。
奈半利での暮らしそのものを
感じる滞在をお楽しみください



奈半利町にかつて存在し、町の夜の経済を大きく牽引した伝説の名店
『スナック マキ』は、昭和の高度経済成長期に絶大な人気を誇ったお店です。
現在の奈半利町が「スナックの町」として知られる土台を作った象徴的な存在でもあります。当時の賑わいやお店の特徴について、いくつかのエピソードが残されています。
「スナック マキ」が超満員だった時代背景遠洋漁業のバブル期と帰港の賑わい昭和の高度成長期、奈半利港は遠洋漁業の船が帰港する活気にあふれた港町でした。長い航海を終えた漁師(おんちゃん)たちがまとまった報酬を手に街へ繰り出し、その受け皿となったのが「スナック マキ」でした。
国際色豊かでおおらかな街の雰囲気当時は、遠い異国の海から帰ってきた漁師たちが現地で出会った美しい外国人の奥様を連れて帰ってくることも珍しくありませんでした。そうした外から来た人々をも陽気に、おおらかに迎え入れる温かい社交場として機能していました。
伝説のスナック「マキ」

「はちきん」のママの魅力。お店を切り盛りしていたのは、土佐の快活で一本気な女性を指す「はちきん」を地で行く名物ママ(叔母が営んでいたという地元の親族の回想が残されています)でした。ママの人柄を慕って、夜な夜な多くの常連客が吸い寄せられるように集まりました。昭和のスナックの象徴であるジュークボックスが店内に鎮座していました。常連客のリクエストに応えて子どもたちがコインを入れにいくと、おんちゃんたちが大喜びでお小遣いをくれたという、現代では考えられないほど大らかで優しいエピソードも残されています。
奈半利町が人口比率あたりのスナック数で全国上位にランクインするようになったのは、こうした『スナック マキ』のようなお店が、漁師や地域住民の孤独を癒やし、強固なコミュニティを築き上げた歴史の延長線上にあるからだと言えます。当時の奈半利町の夜の雰囲気や、現在も営業しているディープなスナックに『マキ』の系譜を引くような、奈半利駅近くで人気のレトロスナック(「マーメイド」や「スナック姫」など)も現存。

スナック文化の繁栄
遠洋漁業で栄えた当時の奈半利町の昭和のスナック文化。遠洋漁業の拠点として栄えた当時の奈半利港(なはりこう)の歴史について。
奈半利港は、古くは紀貫之の『土佐日記』に「なはのとまり(那波の泊)」として登場するほど歴史ある良港です。昭和の高度経済成長期にかけて、この小さな港町が日本屈指の熱気あふれる「不夜城」へと変貌した背景には、いくつかの重要な歴史的要因がありました。
カツオ・マグロ遠洋漁業の爆発的なバブル昭和30年代〜50年代(1960〜1970年代)にかけて、高知県東部(室戸から奈半利一帯)は遠洋マグロはえ縄漁業やカツオ一本釣り漁業の世界的拠点として全盛期を迎えました。航海で大金を掴む漁師たち。当時の遠洋漁船は、一度太平洋やインド洋などの外洋に出ると数ヶ月から1年以上帰国しないこともザラでした。
しかし、無事に帰港した際には、漁師たちに現在の価値で数百万円から一千万円単位にのぼる巨額の報酬(水揚げ割増金)が一括で支払われました。「宵越しの銭は持たん」土佐の豪快さ:命がけの航海を終えて奈半利港に降り立った漁師たちは、溜まったストレスとエネルギーを一気に解放するため、港のすぐそばにあった『スナック マキ』などの歓楽街へ繰り出しました。一晩で何十万円もの大金が飛び交うことも珍しくなく、港周辺の飲食店は凄まじい経済効果の恩恵を受けました。

「魚梁瀬杉」を全国へ送る日本一の木材搬出港奈半利港の繁栄は、漁業だけではありませんでした。
実は大正から昭和初期にかけて、奈半利は山からの富がすべて集まる超巨大な「木材の集散地」でもあったのです。
日本三大美林「魚梁瀬杉(やなせすぎ)」の積み出し。奈半利川の上流(馬路村魚梁瀬)には、豊臣秀吉の大仏殿建立にも使われた最高級の木材「魚梁瀬杉」が鬱蒼と生い茂っていました。
森林鉄道の開通。かつては奈半利川の水流を使って材木を流していましたが(材木流し)、明治末期から昭和30年代にかけて西日本最大級の「魚梁瀬森林鉄道(りんてつ)」が敷設されました。これにより、山から切り出された大量の巨木がすべて川下の「奈半利貯木場(現・奈半利港周辺)」へと運び込まれ、そこから大型船で全国の都市へと運ばれていきました。

おおらかな人々
多国籍でモダンだった港町の風土林業と遠洋漁業という2大基幹産業が重なり合った結果、奈半利港周辺には全国から「一攫千金」を狙う荒くれ者の労働者や、船の整備に関わる鉄工職人、海運業者などが無数に流入しました。さらに遠洋漁船の乗組員たちは、南米やシンガポール、南太平洋の島々など世界中の港の文化を体験して帰国するため、奈半利の街にはいち早く海外の洋楽レコードや珍しいお酒、モダンなファッションが持ち込まれました。
この「外から来る人や文化を当たり前におおらかに受け入れる土壌」があったからこそ、夜のスナック文化がどこよりも早く、深くこの町に根付いたのです。現在の奈半利港は、当時の遠洋漁業の喧騒から落ち着きを取り戻し、サンゴが群生する美しい「ふるさと海岸」などを活かした観光や防災の拠点(みなとオアシス奈半利)へと生まれ変わっています。

旅の先に、暮らしがある。
海と山に囲まれ、
人と文化が行き交ってきた奈半利町。
少し長く滞在すれば、
観光では見えなかった町の表情や、
人のあたたかさに
出会うことがあります。
旅をするだけではなく、
この町で暮らすように過ごしてみる。
VACATION HOUSE 朔から、
奈半利の日常へ。
また帰ってきたくなる旅を。

暮らすような旅
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